芸術感覚における数量概念の未熟と成熟

先日書き始めたバースピンへの道ですが、それなりに長くなりそうなので追い追い動画なども交えてハウトゥーものとして再構成する予定です。お楽しみに。

バースピンについてちょっと考えたのですが、あれって普通ハンドルを1回転させるわけです。そこで、2回転、3回転、4回転…といっぺんにいっぱい回せば、技の難易度は上がっていきます。他の技でも同じことで、ジャンプして横に1回転するのが360(スリーシックスティ)、2回転が720(セブントゥウェンティ)、3回転が1080(テンエイティ)…となり、後方に1回転するのがバックフリップ、2回転すればダブルバックフリップ、3回転でトリプルバックフリップ…となります。

フィギュアスケーターや高飛び込みの選手が回転数を競い、スキージャンパーやゴルファーが飛距離を競い、陸上ランナーやカーレーサーが速度を競うのを見れば、こうしてどんどんレベルを上げていくのはもうアスリートの本能とでもいうべきものなのでしょう。でも、時々そこに疑問を感じることもあります。なぜなら、芸術の一環としてこれらの身体活動を見るならば、こうした数量的な価値が質的な価値に勝るということは無いからです。ものすごく大雑把に噛み砕いて説明しましょう。ここに素敵な絵画があるとします。描かれているのはひとりの牛乳を注いでいる女性とでもしましょう。ここで、女性が10人いたり、牛乳を甕ではなく大樽から注いでいたりしたら、この絵はより芸術的になるでしょうか?というのが、この疑問です。

もっと日常的なシーンで言えば、最近、自動車の大径ホイールが流行っていますよね。あれも、車輪好きの端くれとして、気になります。しばらく前には直径15インチや16インチで上等だったものが、今では20インチだ22インチだいやそれ以上だ、という騒ぎです。確かに、500馬力以上の車で200km/h以上の領域をどうにかしようという向きには18インチや19インチが適しているのでしょうが、じゃあ大きいのが偉いんだな、ということで市販レベルの車に20インチを履かせても、燃費は悪いし乗り心地も悪いし大変です。そしてそれは流行っているけど、かっこよくはないなぁとも思うのです。トリプルバースピンが多分かっこよくないのと同じで。ま、個人の趣味だからいいんですけど。個人的には、好きな16インチとかが安く出回るので問題ないんですけど。

芸術の話に戻ると、美を追求する過程で数量的なものを追い求めるのは多くの人が通る道です。例えばティーンエイジャーの頃には、パンツは太ければ太いほど偉いとか、スカートは長ければ長いほどヤバいとか、ピアスが多ければ多いほどすごいとか、料理は辛ければ辛いほど旨いとか、考えがちです。私は今でもしょっちゅうです。でも、その段階を卒業して初めて、本当に芸術感覚が磨かれるということもよくある話です。おいしい料理を作ろうと思ったら、出汁も塩味も辛味も濃すぎず薄すぎず、バランスを考えなければならないように。そして、私の感じる本当の違和感はきっと、いい大人が先導している現代の日常的な流行には、質よりも数量に彩られたティーンの芸術感覚で成り立っているものが意外と多くあるということなのでしょう。車雑誌は直径22インチのアルミの塊を買えばあなたがおしゃれになれると喧伝し、グルメ番組は出汁と塩分と脂分を可能な限り溶かし込んだインパクトのあるラーメンに主役を頼み、時代の要請にこたえてダブルバックフリップをしたBMXライダーはカメラの砲列の前でクラッシュして頚椎を損傷します。そんなものが、本当に求めていた美しさだったんでしょうか?

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