2010初夏ダイジェスト(3 – 交通安全の勘違い)

「安全」ということを勘違いしている人が多いような気がします。

無理なスピードを出さないこと、シートベルトを着用すること、それらは大事なことです。というよりも、法律で定められていることですから、ボランティアの方に真剣な面持ちで思い出させて頂かなくとも、ドライバーなら記憶の片隅どころか心の四隅くらいにあるわけです

それに比べて、道路に旗を突き出すという行為はあまり遵法精神が豊かなものとは思えないのですが、どうなんでしょうか。

法律が全部漢文で書かれていたような時代だから遵法精神とか木炭バスとか言われてもピンとこないし~、と思っちゃいけません。レトロっちい写真ですが、2010年の広報さっぽろ(確か6月号)東区版の記事です。

私は個人的には神社のお守りステッカーを貼っている車とは距離を取りますが、それは安全に対するスタンスが違うからです。安全が天から慈悲深く与えられるのを享受しようとするだけであれば、能動的に危険を避けることはできません。どこから立ち表れてくるか分からない危険を避けるには、運転技術も状況判断力も、反射神経も運動能力も必要になってくるからです。

私の運転の師匠の一人が言っていたことに、「周りの車を信用するな」ということがあります。前の車がいきなりスピンするかもしれないし、対向車が突っ込んでくるかもしれないということです。前の車と同時にブレーキを踏んでも仲良く玉突き事故になるかもしれないし、隣の車が車線変更してくるときにこちらに気付いている保証はないわけです。最初は、「なんて冷たいドライな考えなんだろう」なんて思いましたが、今はその教えにとても感謝しています。

と、色々言ってみましたが、私の旗波アレルギーの原因はひとつ。数年前に、自転車で走行中に旗に当たったからです。自転車は軽車両なので路肩寄りを走ることになりますし、中央寄りには自動車がブンブン走っているのでそちらにはみ出すのも論外です。もちろん人波にブロックされて歩道にも逃げられませんし、ポリリズム的に振り出される旗を避けるのは弾が20発入ったロシアンルーレットみたいなものです。

私は MTB のスラローム競技華やかなりし頃に旗門をなぎ倒して走っていた世代なので、旗に当たるくらいは問題ないと言えばないのですが、全体としてはなんとなく問題があるような気がします。ぜひとも次からは、せめて、可倒式の旗にして頂きたいものです。

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