嵐の前のダウンタイム

しばらく前に、ウェブサーバーの不調でNSPサイトが落ちていました。失礼しました。

一方、手術から2ヶ月が経過した左足首はまあ好調に治っているようです。前回受診時にドクターが「順調すぎて怖いくらい、キャー」と恋する女学生のようなウキウキ反応を示していたので、多分理想的なのだと思います。ちなみにドクターはとっても気さくな推定60代男子。なぜかナースさん方が彼に言及する際には「モンちゃん」などとまさかのちゃん付け呼称を用いがちですので、お茶目で親しみやすいのは間違いないです。名医として名高い、とか、名誉院長、など「名」率の高い枕詞もあるはずなのですが、そのギャップはまさに千尋の谷。味があります。

順調とは言え、まあ複数の靭帯再建に骨切り術プラス距骨壊死部位の回復待ちというそれなりに複雑なものなので、時間はかかります。既に松葉杖から解放されてだいぶ経ちますが、まだ外出時には膝下ほぼ全体にわたるプラスチックの装具を使っている状態でして、私はまあそういう指示は割とキッチリ守る方なので、多少の不便はあります。

とりわけ不便なのは、普通の靴が履けないということです。退院直後は建築現場用の靴カバーを使っていました。入院仲間の塗装職人さんに教わった手段で、装具屋さんが用意できる足カバーよりはだいぶ安く済みます。しかし長時間出歩いたり車を運転したりという使用法だとか、雨や水たまりへの耐性という点でちょっと難があります。

そこで目をつけたのが、Crocsもどきのサンダル。ちょうど250円ショップで買ったものが家にあったので、現場用足カバーより安いくらいです。術後1ヶ月目の診察時に装具が少し削られ、草鞋のように指が出るようになったのを機に、このサンダルを採用しました。装具ごと履けるように一度ヒートガンで炙ってから足を入れてみたら、ちょうど良い感じに成形できました。めちゃめちゃ快適です。しかし、この蜜月も永遠ではないと気付かされる時がやってきました。

今、外は雪が降り積もっています。

どうしよう。

短期的な解決策は簡単で、今回の雪が融けるまで引きこもっていれば良い話です。しかしあと一月もすれば根雪になるでしょうから、その頃にまだ装具を付けているようであればまた何か工夫をしなければなりません。来週また受診予定なので、そこでの成り行きによって考えるとしましょう。

あとは冬になる前に屋根の修理をしないといけない…と昨冬からずっと分かっちゃいたのですが、これもまともに動けないうちに屋根に上がって作業をする訳にはいかないので、今後1ヶ月くらいの進展によってベストなテンプラ修理の方法が決まります。体調が万全でないうちは焦らないのが一番です。

では、皆様もご安全に!

左足オーバーホール

秋も深まってまいりました。アウトドアに出かけるも良し、知床で熊とシャケを奪い合うのも良し、入院するのも良しという季節です。

何かと8月後半から9月くらいによく起こるイベント、今年も成し遂げました。2年ぶり10度目くらい?の入院手術です。9月半ばから3週間入院して、実は先週もう退院しました。

前回もそうだったのですが、別に新しい怪我をしたわけではなくて、古傷の治療です。3年前の夏に痛めて以来まともに歩いたり走ったりできなかった左足、今回新しい希望が見えたので飛びついてみました。

距骨の壊死がどうのこうのでどうしようもないというのがこれまでの見立てだったのですが、別のドクターに見てもらったら別の話になりました。まず一瞬で「体柔らかいでしょ?」と見破られるところから始まり、靭帯が2、3本切れているのと関節の合わせ面がガバガバなのがいけないから、靭帯再建に加えて腓骨を切って骨端の位置をずらし、関節をタイトに仕立て直そうという方針が決まりました。これが8月終わりの外来受診1回の内容で、その日のうちに通常のX線とストレス撮影をして入院予約まで終わったので、光の速さで話が進んだことにびっくりです。

靭帯については、外側の前距腓靭帯がいなくなっているのは何となく分かっていましたが、内側の三角靭帯は大昔に切って再建して以来何ともないと思っていたのでこれまたびっくりです。私は元々床の上で前後左右に開脚できるくらい体が柔らかいため、靭帯が切れただの衝撃で軟骨が減っただのと関節にダメージが蓄積するとグラッグラのひどい状態になってしまうようです。「体が柔らかいと怪我をしにくい」とよく言われますが、あくまでも程度問題ってことです。

入院すると、ベッドの名札に主訴として「足関節不安症」とありました。まんじゅうこわい、みたいな感じでちょっと和みます。怖い怖い言っていたら空から足関節がいっぱい降ってくるんだろうか。いいなぁ。

冬季五輪終了のお知らせ

既にニュースになっているようですが、オリンピックについての悲しいお知らせです。

私はインスブルック冬季五輪とモントリオール夏季五輪の狭間に生まれました。その次のモスクワ夏季五輪では東西冷戦のあおりで日本を含む西側諸国が参加をボイコットするという事件があり、さらに4年後のサラエボ冬季五輪会場は開催から数年を経過して内戦の激戦地になってしまったという歴史があります。

そして今回ついに、日本はオリンピックにお呼びでないという事態になってしまいました。

2018平昌五輪公式サイトです。一応魚拓も見つけました。ウォーリーを探せるかな? 赤と白の服が目印だよ…いないよ!

もう、やめて良いんじゃないですかね。

もちろん、身を削り骨をきしませてそのレベルでやっているアスリートが一番優先されるべきとは思うんですが、そういうアスリートだって腰パンがどうだ態度がどうだっていうおおよそスポーツの本質とかけ離れた基準でメディアに叩かれちゃうんでしょ。見てられないです。

もう少し本質的なところを突っ込むと、オリンピックは開催国や参加国に対して短期的な経済効果や中期的な活動目標をもたらしてくれる他、現地にスポーツ施設やインフラストラクチャを残してくれるわけです。借金も残りますけど。つまり、開催地はオリンピックを機にスポーツ振興を大きく進める機会を得ます。ですが、それはあくまでも開催地にそうしたスポーツを根付かせられる素地があってのこと。そうでなければ、無駄な投資によって成り立つ、地元に根付かない単発の祭りに疲弊して終わりです。実際にはそこまで両極端ではなく、その中間で良いバランスが取れるかどうかの問題ですが。

で、ソチ五輪を見てて思ったんですが、というか実はあまり見ていないんですが、ソチってロシアの中では温暖な保養地なんですよね。分かりやすく日本に例えると、南紀白浜冬季五輪ですよ。この辺りの開催地ネタ切れ感がしんみりと心に刺さります。

また今回は開催国周辺での軍事的緊張もあるので、既にボイコット検討中の国も出ています。しかしここにピークを合わせて来ている選手がかわいそうですから、ボイコット組が増えるようならそっちで独自にやれば良いんじゃないでしょうか。第一回、南極第六輪大会ということで。

ゴミ箱タイムスリップ

ダラダラしているうちにもう一ヶ月以上前となった話を引きずっているのですが、楽しかったニセコでのダウンヒル大会の個人的な裏話です。機材についての非常にどうでも良いことを一点だけ、世界の最新ダウンヒル事情から一番遠いスタンスで。

MTB種目の中でもダウンヒルについてはモトクロスやスノースポーツと同じで、本気のライダーはほぼ全員ゴーグルを使います。それなのにこの大会で、なぜ私がゴーグルではなくDIY作業用の保護メガネを使っていたのかという、涙なしには語れない物語があります。

スキーでもスノーボードでもMTBでも使ってきた古いオークリーのゴーグル。雪用の色付きダブルレンズしか無かったので、久々の本気ダウンヒルに備えて、私ひそかにクリアレンズを作っていました。昔はクリアのダブルレンズも持っていたのですがキズキズになって何年も前にお払い箱となり、このパーシモンのダブルレンズもどんな天候条件でも全然曇らず良いのですが、視界が狭いし、夏の使用にはちょびっと絶望的に暗いので。

ホームセンターでプラ板を買ってきて、ポンチとハサミでサクサクと完成。とりあえず使えそうです。視野も広くて最高ですが、フレームが汗とか泥とかで汚いままだから洗おうかな。

よせば良かった… えっと、もう1個あったからそれで行こう!

ほぼ触った瞬間に崩壊。ブルータス、お前もか。

最初のゴーグルは渋い色で気に入っていましたが、元は蛍光ピンクだったのを黒の染料で染めたものです。まさにこういう蛍光色の「Naeba」ステッカーを貼ったハイラックスサーフがイカしていた時代というのがありまして、こいつらもまさにその時代のアイコンだったわけです。

私とこいつらの出会いは1990年代初頭に遡ります。当時よく大した買い物もしないのに冷やかしに行って優しくしてもらっていた池袋西口のMTBショップがありまして、ある日そこのゴミ箱に放り込まれていたのがこのゴーグルでした。聞けば、もうさんざん使い倒して廃棄するものだと。そして二言三言の後、こいつらはゴミ箱から生還して私の手の内に収まったのでした。

その後の活躍はご存知の通り、と言っても誰も知らないと思うので補足しておきますと、主にスキーのお供として長野やら北海道やらコロラドやらで私の視界を支えてくれたのがこいつらです。

1999年、コロラド州アラパホ・ベイスンにて。実はちゃんと着地できてません。見栄張って伸身からのアンダーローテーション。恥ずかしい。少なくともゴーグルは無事でした、この時は。

というわけで、甘く誇らしい思い出を残して、ピンクちゃんもグリーンちゃんも晴れてお役御免、改めてゴミ箱行きとなりました。棺桶に両足突っ込んでいたあの日から四半世紀、よく頑張ってくれました。ありがとう。

ダウンヒルシリーズにデビューしてみた

先週末、去年に続いてニセコでダウンヒルの大会に出てきました。しかし去年と大きく違うのが、本州で運営されている「ダウンヒルシリーズ」による初の北海道開催だという点です。

私が全国的にダウンヒルレースを転戦していたのはもう15年から20年くらい前なのですが、その頃のメインは公式戦「Jシリーズ」でした。それが今では「Coupe du Japon」とシャレオツでおフランスな名称となって存続している一方、私的なシリーズ戦として「Downhill Series」があります。ちょっと昔のイーグルカップ時代を思い出しますね。

というわけで、また去年より1年分熟成が進んだ旧車で出場してきました。カクスケさん写真いただきます。

弊社で輸入していた Norco のダウンヒルバイクですが、頑丈で良いバイクですよっていう当時の売り文句はあながちウソでもなかったわけです。この写真は土曜日のタイムドセッションの時で、日曜の決戦と合わせてたっぷりレースを楽しめるのがこの大会の素敵なところです。

タイムドセッションでは気合が見事に空回りして3回か4回転び、そのせいかチェーンも外れたまま噛み込んでペダルを水平にさえできず、もう踏んだり蹴ったりです。タイムは 4:59.863。ぎりぎりで5分を切るギリギリ具合だけは立派ですが、トッププロから1分以上の遅れです。だめだこりゃ。

日曜日は脚のテーピングを大盤振る舞いして、あとはとにかく転ばないように走りました。でないと本当に何しに行ったんだか分からなくなっちゃいます。で、結果は総合だと11位。8月6日にバシッと優勝を決めた広島人、井手川君から27秒少々の遅れです。ローカル勢最速だったタクセイからは15秒遅れ、これもけっこうな差になりました。

あんまり速くなかったのは機材のせいだと周りが思ってくれているので私もその認識にそっと寄り添って生きていきたいところではありますが、このために実はホイールを新しく組んだりしているんですよね。タイヤは初めてチューブレス化し、フロントには初めての27.5インチをブチ込んでいます。リアはどうせ26インチしか入らないからって16年落ちのタイヤをそのまま使ったのがアホだという指摘は否定できませんが、楽しく走れたというだけでなく機材面で新しい試みができたということは非常に有意義でした。

ここでシェフの気まぐれ未来予想の時間なのですが、ダウンヒルで勝つためのホイールサイズとして、フロント29インチ、リアは27.5と26セミファットの互換というようなセットアップが今後の標準になるのではないかと私は何となく考えています。え? UCIルールでは異径禁止? そんなんどうにでも変わるでしょ。今年のツール・ド・フランスでサガンが失格になった時にみんな気づいたでしょ、UCIは言うほど絶対的正義でも何でもないって。

機材と言えば、なぜ私がゴーグルではなくDIY作業用の保護メガネを使っていたのか疑問に思う向きもあるかも知れませんが、これは今説明しようとしても涙で前が見えなくなってしまうので、後日改めて。

そんなこんなの愉快な週末でしたが、そもそも全国レベルのDH大会が北海道に来たのは十数年ぶりで、その原動力となったのがうちの近所の庭師さん、ダウンヒルシリーズに数年来参戦し、北海道での開催を訴えかけてきたオリエ選手です。今回さらに優勝まで決めて、おめでとうございます。ローカルライダーはもうオリエちゃんに足を向けて寝られません。しかしうちのベッドの向きからするとモロに足を向けちゃってますので、その辺大幅に改装することを宣言してDHシリーズ・ニセコ大会の総括とさせていただきます。

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