数日前のことですが、札幌は数十年に一度くらいの豪雨に見舞われました。ほぼ同時に関東や東北地方でも豪雨と水害が起こっています。いずれの地域でも、川の氾濫や浸水が起こりましたが、幸い大きな人的被害はなかったようです。その点、つい先日の広島県での豪雨と土砂災害に比べれば、運が良かったと言えます。
札幌市のケースが耳目を集めたのは、避難勧告が広いエリアにわたり、かつ80万人ほどの大人数に対して発令されたということもありました。朝の4時や5時に、市内人口の半分近くが避難勧告を受け、携帯電話は聞いたことのないアラーム音を夜っぴて発し、翌日は市内の学校という学校が休校となったほどです。
豪雨の最中とその後に、「警報がうるさくて寝られなかった」という恨み節をたくさん耳にしました。翌日は仕事なのに困る、とか、結局寝てても問題ない被害レベルだったのに、とか。
私は、それでも警報をジャンジャン鳴らし続けた気象庁と札幌市の対応を評価します。
念のため言い添えておきますが、警報はただジャンジャン鳴っていた訳ではなく、細かい地域ごとに危険度の高い順に出ていましたし、崖崩れ注意、洪水注意など、情報はきちんと整理されていました。背景としては、近年取り組んできたハザードマップの整備などの備えも活用されていたのでしょう。
自然災害の前に、人間はけっこう無力なものです。数十年に一度しか遭遇しないような状況においては、逃げる準備くらいしておくに越したことはありません。それが杞憂に終われば、後になって「あの時はもう、はたから見たらダサいくらい焦ったね~」と笑い話にすれば良いのです。命あっての物種なのですから。
もう少し突っ込んで考えるなら、そもそも正確な被害予測なんて絶対に不可能でしょう。前回の豪雨と同じ場所で同じ降水量にもならないし、この数十年で作られた建物、改築された家、劣化した家、またその間に造成された住宅地まるごととか、どうなるか分かる訳がありません。
だから、正しくできている警報というものは大概、本当の危機的状況の頻度より多少なりとも余分に作動します。そして、その外れた分に着目してシステムの不便さをあげつらうのは、良い運用ではありません。オオカミ少年の寓話から私たちが学べるのは、少年の側から見た「嘘をついてはいけない」という教訓だけではないはずです。