いよいよ一般向けにも始動しつつあるコロナワクチン接種(おせーよ日本)。私も先日接種券を受け取りました。とは言え、これを真に受けて、さあワクチン接種だッ!と息巻いてはいけません。
私:「もしもし、あのー、ワクチン接種についてお尋ねしたいのですが」
指定病院:「はい、今は無理です」
私:「えぇっと… 無理なんですか?」
指定病院:「はい、ワクチン無いんで」
もうお互いにお気の毒感しかありません。接種受けれない人はお気の毒。一日中こういう電話対応する人もお気の毒。壮大な無駄手間祭りです。もはや接種券は額に入れて飾り、護符とするしかありません。
で、そんなことより本題なのですが、接種券を見ていたら役所の言語能力が低すぎてビビりました。別に外国語対応ができてねーぞ、とかそういう無茶な難癖ではなくて、そもそも日本語の作文能力がヤバ目です。
いわゆる「お役所言葉」の問題なので、そういうの慣れてる人なら「ああまたか」案件ということでスルー推奨です。が、私は時に翻訳通訳をする言葉屋として思わず分析してしまったので、以下その研究結果のご報告です。
引っかかるのが、この「費用負担はありません」という文言です。これね、わざわざ独立した一文としてこう書かないで、その前の文のどこかに「無料で」って入れれば済む話じゃん。
問題の背景として「お役所言葉」のルーツを考えてみましょう。その本来目指すところは学術論文や法務文書のような「誤解の余地を無くすためのキッチリとした記述」であったと思われます。しかしその目的と手段がごっちゃになり、やがて「キッチリ風形式主義」という様式美を作り出してしまいました。例えば何かを「する」というより「行う」方がキッチリしていて、さらに「履行する」とか「実施する」と言えばもっと格式が上がります。ひらがなより漢字、また字数を多くし、さらにより画数の多い漢字を使った方がキッチリ感が出せるという寸法です。
しかし今回のケースで問題なのは、出来の良い学術論文や法務文書と違って、この「費用負担はありません」という文言がその費やした文字数と画数に反して意味上の厳密さを一切欠いているということです。発生するワクチン接種コストに対して「誰がそれを負担しない」のかが書かれていない以上、法務文書なら落第レベルです。「無料で」と言った方がはるかに「サービスの受け手側の金銭負担がないですよ」とストレートに伝わるでしょう。問題の本質をもっと簡単に言えば、文字数を増やして難しい単語を織り込んで、結果として意味がむしろ曖昧になるなんて、馬鹿なの?ってことです。
平時であればそれを笑って許せることもあるでしょう。しかし、非常時の対応というものは違います。例えばですが、「差し迫った危険が予見されておりますので、何卒一旦停止の方の実行を検討していただきますようお願い申し上げます」と言うより、「おい、止まれ!」と言う方がより多くの命を高確率で救えるというのが、非常時というものの特性です。お役所好みのキッチリ風味とは逆に、文言は短ければ短いほど優れていて機能的となる状況が存在するということです。
のどかな平時にお役所でのほほんと無駄飯を食らっているスタッフがいたとしても、私はそれを駄目だとは思いません。非常時に対応できるキャパシティ(対応容量)を持っていることが大事だからです。しかし、非常時に至ってこのようなぬるま湯仕事をされると、そのキャパシティが幻想だったということになります。キャパシティとは結局「質×量」なので、個々人の資質が塵であれば集めてもゴミにしかなりません。「費用負担はありません」と積み上げた文字列がまるごとゴミであるのと同じように。
二百万都市の役所が市民を守るために送付した文書が見出しからすでにこの程度の言語能力と非常事態対応センスなので、その先の接種受け付け体制がはなから崩壊しているのもまあ意外なことではありません。こんな作文しかできない馬鹿に付ける薬はないし、若年市民に打つワクチンもない。ああお気の毒。