先日、車を運転していて危うく事故りそうになりました。
夜の帳も降りきった晩秋の午後9時、小さな脇道から幹線道路に右折する私。歩道橋があったりして見通し最悪なんですが、右ヨシ左ヨシ上ヨシ下ヨシ、ブーンと行った3秒後、対向車線に認識していなかった車が通り過ぎます。やばっ。ヒヤリハット事案じゃん。数秒ずれていたらあわや大事故です。
その黒い軽バン、無灯火だったんですよね。忍者かよ。
こんなの向こうが120%悪いに決まっていますが、もし事故になれば心も体も財布も痛いのはお互い様です。全く割に合いません。そもそも下忍クラスが黒装束キメてんじゃねぇぞ、とか、こんな馬鹿は普通免許を剥奪して自動運転車限定免許でも与えとけ、とか、言いたいことはたくさんあります。が、それ以前に、そんな車を作ったメーカーも50%くらい悪くないですか?
一昔前の車って、ドライバーが前照灯を点けることにより、スピードメーターを始めとする計器類も一緒に点灯するのが普通でした。大体どんな馬鹿でも計器類が真っ暗で見えなければ違和感を感じますし、または「別に街灯あるから自分からは道路状況見えてるから」と嘯く阿呆でも、自分がまともに運転するためには、他者からの視認性の鍵となるライト点灯を行う誘因が生じます。
そんな人間工学的にさりげなく完成されていたシステムを壊してしまったのが自発光式メーター。昼間でも常にメーターが光っているやつです。私の知る限り、「一部の高級車がそれ採用し始めたから、つまりそれってクールなんだぜ!だからそのクールをパンピーが運転するパン車に採用するのがマーケティングってものなんだぜ!」というだけの理由で、自動車メーカーはその悪魔の果実をあまねく採用してしまったのです。
真のエンジニアリングが、馬鹿の馬鹿による馬鹿のためのマーケティングに敗北した瞬間です。
似たような問題を他の部分でも見かけるんですよね。例えば、鍵システム。近代の車において、私の理解では、3段階の変遷があるように思います。
- 物理鍵でドアの施錠解錠およびエンジン始動を行う(20世紀方式)
- ドアは遠隔電波操作で、エンジン始動は従来どおり(キーレスエントリー)
- 鍵が持つオーラでドアが開き、ボタンを押せばエンジン始動(黒魔術)
1は原始的ながらも理にかなった機構だと思います。
2の場合、全てを物理鍵で済ませることもできるため、1の上位互換と言えるでしょう(セキュリティー面での余分な脆弱性を除けば)。ただそれにしても、リモート鍵の設計がアホだなと私は思います。
大体こんなのが標準的だと思うのですが、施錠、解錠、それとトランク開放がそれぞれ別のボタンになっています。一方、スティーブ・ジョブズの生まれ変わりたる私であれば、こんなアホなヒューマン・インターフェイス設計はしません。むしろこうします(ひょっとしたら私が調べきれていないだけで、こういう鍵も既にあるかもしれませんが)。
AとかBにはトランク開放なりパワーウィンドウなり、好きなものを割り当てればよろしい。それよりリモート鍵の本懐は施錠解錠ボタンです。だからこれだけを露骨にど真ん中に大きく置きます。そして1回押しで施錠、2回押しで解錠。
これだけで要点を分かってくれる人はもう優れたエンジニアなので置いといて、一応細かく説明してみましょう。
まず解錠施錠とトランク開放は重み付けが違います。鍵を操作する以上必ず起こる最重要アクションが施錠解錠なので、これは目をつぶっていてもポケットの中ででも確実に操作できる明確性が望ましい。だから大きく、またど真ん中。なんなら表裏両方ボタンにしても良い(ポケットの中の鍵の向きを把握するのが無駄手間なので)。一方、トランクだのパワーウィンドウ開け閉めだのは、そうしたい時もあるよね、という付帯的操作なので頻度も優先度も低く、同じ重み(=ボタンの大きさ)を割り当てる価値がない。いやオレは毎回それ重要な操作だから、って人は勝手にブラインドタッチを覚えればよろしい。またはそういう例外操作の時はポケットから鍵を取り出してボタンを見ながら押せば良いだけです。
そして施錠解錠の操作分け。鍵の本質はセキュリティーなので、解錠よりも施錠操作が最優先です。だからシングルクリックでサクッと施錠。一方ダブルクリックはより意識的かつ明示的な操作なので、この区別によりうっかりポケットの中で押ささって解錠し盗難リスク発生、というシナリオが避けられます。いくら両手に荷物だなんだという状況があっても、解錠ボタンを押せる状況ならボタンをダブルクリックすることも同じ手間で可能なわけで、利便性を損なうことはありません。というよりむしろ、どっちが解錠ボタンだっけ?と悩まなくて済む分、利便性は向上します。
…という程度のエンジニアリング感覚も持たないのが自動車メーカーというものなので、その後の迷走もひどいもんです。それは鍵システム進化論の第3段階に如実に表れます。
「F1とかラリーとか、イケてる最先端ではエンジン始動なんてボタン押すだけでしょ、それカッコよくね?」
違います。選ばれしドライバーがクローズドコースで競い合う種目と一緒にしないで下さい。なんの技術の裏付けもない素人が、コースアウトすればなんの非もない居合わせた人々を10人でも20人でも殺せる機械を操っているんです。その始動にキーひと捻りの儀式があるのはちょうど良いし、さらに運転中の鍵の置き場所が明確だし、一体なんの不都合があったというのでしょう。技術的に可能だから、これやれば差別化になるから、という下らない動機以外に、どんな理由があったというのでしょう。
実際この「技術的に可能だから、これやれば差別化になるから」という虚飾がこの数十年で起きた車の「進化」の結構な部分を占めているようにも感じます。いや確かに燃費性能とか高速安定性とかは確実に進歩しているのですが、一方でユーザーが把握しきれないような謎ボタンだらけのブラックボックス化している現状は、人間工学的には進化ではなく退化です。
いつになったらこんなギミック付け足し志向から脱却できるのかと嘆息しますが、たぶん無理でしょう。なぜなら、これは自動車メーカー自身が長年かけて作り出した構図にほかならないからです。運転手が行っていた操作をアレもコレもソレも車が肩代わりしまっせ、という方向性が正常な進化なのだと刷り込まれ、かつて機械を操るドライバーと呼ばれた存在は、今では知識も技術も持たないチンケなユーザーに成り果ててしまいました。ABSだ横滑り防止装置だといった具合に車が高機能化した分きっちりユーザーは無能化し、そんな甘やかされた阿呆だらけのマーケットに売り込むためにはメーカーも率先して馬鹿みたいなギミックを追加し続ける、という地獄のスパイラルです。
まあ、そんな螺旋に乗らない選択肢、という個人の自由があるのがまだ救いですね。A地点とB地点を結ぶだけのブラックボックスが行き交う中、私は今日も、テレビもない、ラジオもない、ABS何それおいしいの?って車で一つ一つの操作を楽しんでいます。